私は20代半ばから30代前半まで、都内の障がい者支援施設で知的に重い障がいのある方への生活支援を約8年間従事していたとき、ふと思うことがあった。
なんで、知的(他、自閉症、ダウン症)障がいの方だけ支援しているんだっけ、、?
そういえば、障害の種別(知的、精神、身体など)に分けて、施設も分けて支援しているのはなぜなんだ。
また、高齢者は高齢者施設やデイサービス。子どもは保育園や学童クラブ、、同じ人間なのに、年齢や障がいの有無によって、利用する場所が決まっているのが不思議だった。
その道の先生に聞いたら、答えは簡単で、法律や制度が違うからだと。
遡ること、明治7年、幕府の失政の影響で、生活困窮者が増加したことを背景に公的な救済措置として、明治政府は、『恤救規則(じゅっきゅうきそく)』という法律を作った。これが、近代日本における初の社会福祉的な法律が誕生した。以降、昭和初期には、救護法、そして知名度が高い生活保護法と形を変えていった。
すなわち、「貧しい方に法律を作って助けよう!」から始まったのである。その考えをベースにその後は、児童福祉法や老人福祉法、身体障がい者福祉法など、対象者の状態に合わせた法律が作られていった経緯があり、現在もその流れを受け継いでいる。
そういった縦割りな法律によって、対象者別に施設を作り、そこに、保育士やら介護福祉士やらの国家資格を作り、専門職として働く。人の分断ができあがり、「あれっ壁ができちゃったね。」という訳である。
私は「そんな壁なんて無くしたいんですけど!」とずっと思ってる。
きれいごとに聞こえるかもだけど、縦割りな法律が無ければ、昔から、明治時代からでもよいが、健常な方もふまえ、老若男女や年齢、障害の有無を問わず、同じ人間同士助け合いって、共に成長していこう!的な法律があったら、現在における 障がい者への間違えた見方は少なかったのでは。
だから自分だけでも、高齢者や障がい者などを問わず、誰にでも生活支援ができる人になりたい。また、そういった方々と一緒に暮らすグループホームやデイサービスがあったら楽しいだろうなぁ思っていた。
そんな矢先、NHKをたまたまに見たときに、『富山発!地域共生ケア 富山型デイサービス このゆびとーまれ』の紹介番組あった。
内容は、赤ちゃんから高齢者まで、障害の有無に関わらず、分け隔てなく生活支援をする。制度の垣根を超えたデイサービスが生まれていた。自分がやんわり考えていたことが実践されいた。まさにこれこれ!もう衝撃的。部屋中飛び跳ねた記憶が(笑)
それからというもの、勢いづいちゃって誰にでも支援できる人を目指した。
「まずは、今障がい者の支援してるから、、次は障害児の療育だ!」と、転職活動をするが、療育施設ってのは、保育士資格が必須だった、、。おいおい、ホームヘルパー2級しか持ってないぞ。やばい・・・
つづく