高三の冬。私が通っている自動車学校に自衛隊地方連絡事務所の方から私宛に電話が来た。
「〇〇君?(私)、任期制の方で、欠員出たから、繰上りで採用できるけど〇〇君どう?」
おい!!? 頭が真っ白、、。
私:「、、え~と、急には答えられないので、親と相談したいですし、、いつまでにお返事すればよろしいですか。」
事務所の方:「今日か明日の午前中には、だね」
おい!!? 早過ぎる! 頭が頭が真っ白、、。(2回目)
その電話を終えた後、、右も左も世間も知らない高三の私は、ここで人生初の大きな選択を迫られた。
今思うと、もし、入隊せず、不景気の真っ只中に地元で就職していたら、、いや、就職できず父の大工仕事をしていたかもしれない。低学歴で収入もままならない状況に陥っていたに違いない、、。
入隊を悩んだあげくの答え
入隊はせず、予定通りオートバックスの採用面接を受けることにした。正直、厳しい自衛隊に入りたくなかった。当時は、訳もなく、ただカッコいい言葉に聞こえた「お金がすべてじゃない」のテレビドラマのセリフを引用して、自分の考えのようにするぐらい無知な私だった。
さっそく父に電話し、事情を伝えたのだが、、。
かなりの突然のことだった。
父:「だめだ!何言ってんだ、コノヤロー、行ってこい!」と、鬼の形相のごとくキレられた、、。
父は本気で全力で私の気持ちを否定した。父の言葉はもう恐怖でしかなかった。ただただ、従うのみになった。
私は、自動車学校の待合室で、人目を気にせず、ただ泣いた。
資本主義社会の中で生き抜くには?なんて知る由もない。18歳の私には辛い出来事になった。
そして後日、、地方連絡事務所の方に入隊の意思を伝えた。
一ヶ月後の3月末
まだまだ寒い季節だが、日差しが心地良い暖かさの陽気。この日が自衛官として社会人としての出発の朝になったのだ。
自衛官としての自覚や教養を学ぶために、横須賀教育隊へ向かうため、入隊予定者40人程が街の大きな公園に集まった。そこまで、父が車で送ってくれた。車の中は、終始無言。
父とあっさりと別れ、私は出発する大型バスに重い足取りで乗り込む。
入隊予定者は、意気揚々としている人もいれば、不安で緊張している人、にこにこ笑っている人様々。
私は、内心焦燥感に駆られ過ぎて、終始無表情。
大型バスが動き出した。
父がこっちを向いて、大泣きしていた。
初めて見る泣き顔。どんな思いで泣いたんだろう。そんなことは、親子なんだから笑 分かりますよ。心の中なんてお見通しさ。
父:「悪かったな。」と、言いたいんだよね。
私:「大丈夫だよ、お父さん、行ってきます。お盆に帰ってくるよ。」
父と心の言葉のキャッチボールは済んだ。さあさあ、横須賀行ってこようか。
以上。