知的障がい・自閉症のある子供へのサポート

自分の思いの表し方が場面によって違ってくるのはどうして?

ある母親から自宅に帰るといつもこうです、、。小学校支援学級に通う子供の母親がポツリと語ってくれたことを伝えます。それに対して私の意見を載せました。少しでも、ご参考になれば幸いです。

母親は学校、放課後等デイサービスの様子と自宅での様子が違うと話してくれた。自宅では、親から本人にとって嫌なことを言われたり、急きょ予定が変わったりしたことで大声を出したり、時には叩いてきたりして大暴れすることもあるそうだ。
それはなぜか、結論としては、
①人は言い聞かせようと、近い距離と決まった関わりで子供に接している
②物事の言い方を言葉のみで伝えている
③なぜの理由を伝えていない
が主な要因ではないかと考える。

子供が小学校の支援学級や特別支援学校に進学すれば、いろんな年齢幅の子と接したり、机上の授業をしたりすることが多くなる。相手の子と年が離れているということは、体格差や声の大きさ、力の差を感じ、友達関係の中に上下関係が生まれる。(私は、友達同士において対等な関係を持つには、成熟した大人同士または、夫婦しかできないと考える。)そして、集団行動を意識した学校行事や校外学習、部活など、集団から少しでも自己主張やはみ出したことをすると、嫌もなく目立つので、なるべく目立たないように=ミスをしないようにと思い込んでいく。それが、ミスをすることに恐れ、子供自身がミスを許さない状況を作り出す。授業やテスト試験でミスするのは恥ずかしいから、友達とゲームで負けるには絶対嫌だから、この授業はしたくない、あの友達とは関わりたくないと言って、学校に行きたがらなくなる場合もある。

学校生活を前に向きに頑張っても、部分的に我慢するところもあり、上手く順応できたとしても、どこかで発散しなければならない。発散先は親もしくは、放課後等デイサービスのスタッフを叩いたり、大声を出したりして表してくる。そして、叩いてきたときの対応が、その子の成長に大きく影響してくる。ここで適切な対応ができればなのだが、そうは言っても難しい。叩いてきた理由は、単純に甘えから来るものでもあるが、甘えを超えると暴力的な方向へ行く。よく愛情の反対は無関心と言うが、子供には無関心という行為にどんな意味があるか、その先を想像することは難しいので、ここでは無関心ではない。甘えを超えると、憎しみになる、これは本能と考える。

そこで、上に記載した結論が私の考える解決方法である。①については、子供と距離を取ること。子供に聞こえる程度の声で冷静に話すことである。理由は、距離が近いと、単純に叩きやすくなることや発散する嫌な感情が増幅してしまうから。②については、言葉を獲得している途上である子供にとって、言われた言葉の意味を知らない、ただ何か嫌なこと、攻撃的なことを言われていると思い込んでしまう。その子はどの程度の言葉の意味に理解があるかを知った上で、言葉を選んで話すこと。また、知的障がい自閉症のある人は視覚の優位性があるため、イラストや動画、画像を組み合わせて話すとことをおすすめしたい。余談になるが、今はユーチューブを観る子が多くいる、その子に好きなユーチューバーがいるとすれば、そのユーチューバーの言い方や動画の出し方を真似をして伝えても良いのではと思う。③については、ただダメまたは、良いと結論を伝えても、子供は理解、納得はしない。子供は経験したことがなかったり、物事の先を想像(予測)することが難しかったりする。これは、物事の中身を教えてないとの同じであり、中身を知らないまま育つと、叩くなどの行動は止まることはない。手間だからと言って、意味を伝える努力は惜しまないでほしい。子供に伝える言葉とその言葉の意味はセットで教えることは、私がもっとも必要であると考える。

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